こんばんは。今年も残すところあと数時間となりました。思い返せば、災害で被災するのもつらいことですが、目に見えない敵によって人との繋がりが断たれてしまった一年でした。
まさか、苦労して合格した矢先に新歓が無くなり、サークル活動も無くなり、放送大学に入学したのかと思う状況になるとは思いませんでした。この話はまた別の項でしたいと思います。
さて、滋賀大の編入試験合格発表は遅いことで有名ですよね。他の大学でしたら受験して1か月以内には出るのが普通だと思いますが、滋賀大は9月ごろに面接をして、11月末にTOEICのスコアを提出し、結果が出るのは翌年の1月末です。(編入試験の制度が変わる前の話です)
前回の投稿で、面接でやらかしたというのを話しましたが、もうやっちゃったなぁという思いでした。そして、私の場合は併願とかしてなかったので、ここからTOEICに切り替えて更に勉強でした。この時点でのTOEICのベストスコアが700無かったので、2か月しか残っておらずとても切羽詰まってました。
1回目の試験で800台に何とか乗せられ、2回目はリスニングをやらかしたような感触だったのですが、郵送で結果が来る前に先に職場でオンラインで確認したら、860を超えていたので思わず声をあげて喜んだのを覚えています。
そして、大学まで直接スコアを出しに行き、やることはやったと。面接のこともあったので、何とも言えない気持ちではありましたが、何とか行けるのでは?みたいな感覚でした。
しばらくは仕事で忙しくしててあまり気にせずにできていたのですが、年が明けて合否発表の1週間前くらいから、いよいよいてもたってもいられなくなり、やっぱりダメかもしれない、いや、普通にダメだみたいな気持ちになり、かなり落ち込んでいました。起きているときはいよいよそのことばかり考えるようになってました。
そして発表当日、13時から発表だったのですがネットで見ても納得できないだろうと思い比較的近場なこともあり、午前中だけ仕事をして午後から見に行きました。直接見に行くなんて高校受験のとき以来でしたから、新鮮な感覚でした。
私が行ったときは14時くらいで、誰もいませんでした。この日は雪混じりの雨が降る寒い日で、落ちたんじゃないかと感じさせる天気でした。
発表は正門入ってすぐ横のところの掲示板に貼り出されてました。
このときはまだ講堂の工事中でした。
こんな感じでA4に小さく書類のように書かれているので、探している間も心臓に悪く。。。
でも自分の番号を見つけたときには、本当に嬉しく、信じられない気持ちでもあり、本当に頑張ったなという安堵もあり、また今まで支えてくれた人たちのことが思い出され、とにかく自分よく頑張ったなという思いで今までの苦労が思い出され、もう泣かずにはいられませんでした。
必死でした、働きながら勉強することは生半可なことではありませんでした。不器用な人間で、自分に弱い人間でしたから。努力を形にできたこと、何物にも代えがたい喜びです。私を応援してくれた家族や友達、職場の人には感謝しかありません。
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